大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

徳島地方裁判所 昭和50年(わ)190号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

第一、本件公訴事実

本件公訴事実は、

「 被告人は、

第一、かねてより同僚の本田千敏(当時三八年)と仕事のことなどで反目し合つていたところ、昭和五〇年五月二四日午後八時頃、酒店で飲酒中同人と些細なことから口論となり、同人より手拳で顔面を殴打され前歯を折られるなどの傷害を負わされ、その場は同僚らの仲裁でおさまり、寄宿先の徳島市川内町加賀須野九三番地所在の神例造船所下請業者専用工員寮に戻つたものの、右本田に対する憤懣やるかたなく、自室にあつた木刀一本及び理髪用鋏一丁を携帯したうえ、同日午後一〇時頃、右寮西側昇降階段付近において右本田を詰問したところ、同人が右木刀を取り上げ被告人に殴りかかつてきたため、とつさに殺意を生じ、右理髪用鋏で、右本田の左胸部、腹部等約一三か所を突き刺し、よつて同人を左胸部刺創に基づく心臓損傷による心臓タンポナーデにより、同日午後一〇時一五分頃同所において死亡させて殺害し

第二、業務その他正当な理由がないのに前記日時場所において、刃体の長さ約九センチメートルの理髪用鋏一丁を携帯したものである。」

というものである。

第二、認定事実

一、本件に至るまでの経緯について、被告人の当公判廷(第一八回)における供述、第三、第五乃至第九回公判調書中の被告人の各供述部分、被告人の検察官(二通)及び司法警察員(二通、内一通は自首調書)に対する各供述調書、証人内田政広の当公判廷における供述、第二回公判調書中の証人荒川満夫、同木下和司の、第三回公判調書中の証人山崎隼人の、第四回公判調書中の証人大藤恒雄の、第一六回公判調書中の証人五味弘の各供述部分、藤原貢の検察官及び司法警察員に対する各供述調書、江口義男、大藤恒雄の司法警察員に対する各供述調書、当裁判所の検証調書、司法警察員作成の検証調書、司法警察員作成の写真撮影報告書と題する書面、押収してある理髪用鋏一丁(昭和五〇年押第八〇号の一)、木刀一振(同号の二、半分に折れているもの)を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  被告人は、日本海事協会の一級熔接免許を有し、熔接工として各地の造船所などを転々としていたが、昭和五〇年四月一六日ころ、以前一緒に仕事をしたことがある江口義男の紹介で、同人の勤める葵工業株式会社四国事業部坂出出張所に就職し、神例造船株式会社の下請けである鳴門造機の仕事に従事するため、徳島市川内町加賀須野九三番地所在の神例造船株式会社寮二階一六号室に入居し、熔接工として、総責任者藤原貢、班長松山勇の下で、先に来ていた班長補の本田千敏ら十数名の者と一緒に働いていた。被告人は、前記のとおり熔接の仕事には自信があり、同年四月末ころ、右藤原貢から仕事の腕をかわれて班長補にならないかと言われた位であるが、同所での仕事をはじめてまだ間がなく、班長補である本田千敏や他の同僚の立場をも考えてこれを断わつたこともあつた。同年五月初めころ、藤原貢は、熔接部門での仕事のミスが目立つなど工員達の仕事ぶりが悪く、休む者がでたため、責任者として、被告人、本田千敏ら七名の者を名指しにして真面目に働かなければ首にする旨を話したが、改善されなかつた。被告人は、性格が内向的であり、且つ仕事に自信があるためか班長補である本田の指示を受けるのを好まず、独自の判断で仕事をすることも多く、又、職場仲間と酒を飲んで付き合うことも少なく、とかく相手の非を咎め、くどくど言つて協調性に欠けるところがあり、おのずから同僚就中本田千敏や山崎隼人などその取りまきとの間は反目しがちとなり、いわば職場仲間の間では村八分的存在であつた。被告人は、腎盂炎のため同月一九日から同月二一日まで仕事を休み、金もなく保険証も持つていなかつたため病院にも行けず寮で寝ていたところ、同月二一日午後一一時ころ、被告人の部屋に来た本田千敏に寮の前庭に連れ出され、酒に酔つた同人から、「この忙しい時に仕事を休んでどんなつもりでおるんぞ。首にするぞ。」などと言われたが、同じ職人同志の間柄に過ぎない同人が自分に向かつてそのようなことを言う立場にないことを諫め、「仕事は病気のため休んだ。首にするという話は素面のときしてくれ。」と反論し、さらに藤原貢から班長補になれと言われたが断わつた旨自分の謙譲な態度などを折り込み穏やかに話をしたが、本田は自らの班長補としてのプライドを大いに傷つけられたもののその場は収まつた。その翌日の二二日午前中、神例造船の現場で、被告人は本田に対し「きのう、わしを首にするというたのを覚えているか。」と問い詰めたところ、本田は「そんなことは言うとらん。皆が三井は首になるぞというとるというただけや。」と答えたため、被告人は本田に対し、一緒に責任者の藤原のところへ行つて事の是非を明らかにしようと迫つたが、本田が答えに窮し、黙つたままであつたので「仕事のことは素面でいうてくれ。」と言葉を投げつけると、本田は顔を赤くして立ち去つた。こうして、被告人と本田との間柄は、本来の性格上から来るわだかまりに加うるに、仕事上の確執がからんで相互に恨みに思う関係が形成され高まつて来ていた。

(二)  被告人は、同月二四日午後四時四五分ころ、仕事を終えて寮に帰つたが、同僚から、ここ二、三日会わなかつた藤原貢が寮の近くの池田酒店にいることを聞き、同人から病気治療のため借金をしようと考え、同日午後七時ころ池田酒店へ行つた。同店には、藤原貢の外に本田千敏とその取りまきである山崎隼人、東村盛、木下和司らがカウンターでめいめいに飲酒していた。被告人は、藤原貢の側へ行き、借金や仕事の話をしながら同人の勧めでビールを飲み、同日午後八時ころ、藤原貢から本田千敏と仕事の打合わせをしてくれと言われたため、その場に移つて来た本田千敏と仕事の打合わせをしていたが、同人が同月二一日に被告人に対し首にするなどと言つた覚えはないということを再び言い出したため、ここに再び言つた言わないで口論となり、そのとき山崎隼人が「本田さんまだ三井を殴らんのか、わしが殴つてやる。」などと言つたため、被告人は山崎隼人の方を向いて同人と言い争つていたところ、突然本田千敏に顔面を二、三回手拳で殴打されたためその場に倒れ、鼻血を出し、歯を折るなどしたが、他の客が本田千敏を制止し、藤原貢からその場を収めるから寮に帰るように取りなされ、被告人はとりあえず傷の治療をするため一人で寮に帰つた。被告人は、洗面所で傷口を洗つた後、自室のベツドで横になつていたが、腹が立つてたまらず、何とかして本田に自己の非を認めさせた上、自分を病院に連れて行かせて治療費を支払わせようと思い、本田を探しに出かけたが見当らないので寮の階段の下に置いてある本田千敏のバイクのところで同人が帰るのを約一時間位待つていたが、帰つて来ないので再び自室に立ち帰りベツドで横になつていた。そのうち同日午後九時ころ、二階三号室の方から「三井をわしが殴つてやる。寮から追い出せ。橋の下で寝たらええ。」などと言う山崎隼人や東村盛らの罵声が聞えてきたため、前記いきさつから右山崎らと喧嘩になるのではないかと考え、同人らを威嚇しようと、以前護身用のため寮のごみ捨場で拾い部屋のベツドの下に置いていた木刀(昭和五〇年押第八〇号の二)を持ち出し、右木刀を携えて右三号室に行き、ドアが少し開いていたため、木刀を前に出し、「おれの悪口なんで言うんや。出て来い。勝負せんか。」などと部屋にいる山崎隼人らを威嚇したところ、山崎隼人がそれに応じて部屋を出ようとしたが、木下和司らが「三井みたいな阿呆を相手にするな。出ていかんでええ。」と制止し、右木下が部屋のドアを閉め鍵をかけたので、被告人は「出てこい。山崎出て来い。」などと怒鳴つたものの出て来ないので自分の部屋へ帰つた。同日午後九時三〇分ころ、被告人は、再び血がにじんで来たので口を漱ぐため、右木刀を携えて二階の洗面所へ行き、用を終えて洗面所を出たところで便所にやつて来た木下和司に出会つた。被告人は、同人に「お前さつき何や、ものの言い方教えてやる。」などと言つて同人と口論になつたが、突然同人が被告人の持つていた木刀をもぎ取り、被告人に殴りかかつてきたため、被告人は、同人の木刀を取りあげ、とびかかつてくる同人の胸倉をつかみ、木刀で同人を殴りつけようとしたが、騒ぎを聞きつけやつてきた大藤恒雄ら数名に制止された。そこへ東村盛が「おどれ何しよんな。」と言いながら、からの一升びんを床にたたきつけて割り、割れた一升びんで被告人につきかかろうとしたが、近くにいた者が東村盛を制止したため、その場は大事に至らなかつた。被告人は、そのとき寮に帰つて来た荒川満夫に会い、同人に本田千敏の居場所を聞くため、右木刀を持つたまま自室の隣りの一三号室に行き、そこで荒川満夫と本田千敏のことについて話をし、「もし今夜会わなかつたら、あした仕事に来るよう伝えてくれ。」などと伝言を頼んだ。その間、被告人は、三号室の方から依然として山崎隼人らの「三井おるか。」「三井を殴り倒さんのか。」などと叫ぶ声が聞えてきたため、木下和司や東村盛の態度から考えて喧嘩になつては多勢の同人らに袋叩きにされてしまうと考え、荒川満夫との話の途中で自室に帰り、ロツカー内に置いていた理髪用鋏(同号の一、刃体の長さ約九センチメートル)を護身用として取り出し、ズボンの後左ポケツトに入れ、再び一三号室に戻り話をしていた。

(三)  一三号室に戻つてから五分か一〇分たつた前同日午後一〇時ころ、寮の玄関口付近で本田千敏の「三井おるか。」と怒鳴る声がしたので、被告人は、「おう。」と言つて木刀を持ち、鋏をズボンの後左ポケツトに入れたまま一三号室を出た。本田千敏は、二階ホールを進んで被告人の方にやつて来たが、木刀を持つている被告人を見て、ホールに接する一八号室の角付近で立ち止まり、さらにホールの中央付近まで後退した。被告人は、本田千敏のところへ行き、同人に対し「これだけ怪我をさせておいてまだ気がすまんのか。また殴りに来たのか。」などと難詰したところ、同人は被告人の手を握り、「殴るつもりはない。木刀を放つてくれ。」などと言つておとなしくなつた。そのころ二人の声を聞きつけてやつて来た大藤恒雄が、喧嘩をしたらいかん、木刀を捨てて話し合いで解決するように二人に言つて喧嘩の仲裁をし、また、本田千敏も「木刀を放つてくれ。話し合いで解決する。病院へ連れて行つて怪我の治療をする。責任を持つ。」などと言うようになつたので、被告人は、以前のように話し合いで解決できると考え、本田千敏に対し、「木刀捨てるから円満に話せんか。」と言つて、話し合いで解決することの念を押し、木刀をホールにある下駄箱の裏側に投げ入れた。そして、被告人は、本田千敏に対し治療のことなどの話をつけるため、「話し合いをしようではないか。」と言つて、先に立つて階段を降りかけたとき、いきなり、本田千敏が、下駄箱を倒して被告人が放り捨てた許りの木刀を取り出し、右手で木刀を振りかざして「三井どないしたんや。この木刀でおれをどないにしようと思うとんや。三井やつてやろうか。」などと口走り、階段を降りかけていた被告人を追いかけ、殴りかかつてきた。

二、被告人が本田千敏から殴りかかられた後の状況については、同僚の赤松信太郎が約五、六メートル先からほんの一瞬その一部を目撃している(証人赤松信太郎に対する当裁判所の尋問調書、赤松信太郎の司法警察員に対する供述調書)他には目撃者も存せず(例えば、証人内田政広の当公判廷における供述、第一六回公判調書中の証人五味弘の供述部分)、又、右の赤松信太郎の供述も、被告人と本田との格闘の一こまを電気による照明のない暗い所で瞬間的に見た印象を断片的に述べるのに過ぎないものであつて、本田の攻撃とこれに対する被告人の応酬の経緯とその態様を個別詳細に認定するには到底足りるものではない。そして、右格闘の経緯を個別具体的に述べるものとしては被告人の供述しかないのであるが、本件全証拠のうち、被告人の供述を覆えすに足りるものは存在していない。かような場合、裁判所としては、結局、被告人と本田との格闘の詳細を知る者は、右二人だけであり、しかも本田が既に死亡している以上、被告人の供述の総体を本件記録にあらわれた一切の諸事情を基礎として論理法則と経験則に従つて吟味した上、そこに格段の不合理、不自然な点が認められない以上は、被告人の供述を中心として事実を認定していく以外ないのである。

そこで、被告人の当公判廷(第一八回)における供述、第三、第五、第六、第八、第九回公判調書中の被告人の各供述部分、被告人の検察官(昭和五〇年六月一一日付)及び司法警察員(自首調書分)に対する各供述調書、第一四回公判調書中の証人前岩道彦の供述部分、証人赤松信太郎に対する当裁判所の尋問調書、赤松信太郎の司法警察員に対する供述調書、前岩道彦作成の鑑定書、司法警察員作成の鑑定結果回答書(添付してある警察技術吏員作成の鑑定書を含む)、司法巡査作成の捜査報告書、司法警察員作成の写真撮影報告書と題する書面、当裁判所の検証調書、司法警察員作成の検証調書、押収してある理髪用鋏一丁(昭和五〇年押第八〇号の一)、木刀一振(同号の二)を総合して次の事実を認定する。

被告人は、前記本田千敏の攻撃に驚いて階段を走つて降りたが、階段を降りたところで同人に木刀で右側頭部を殴打され、両手で頭をかかえたところを木刀で左脇腹を殴打されたうえ、左足首付近を木刀で殴打されたため、その痛さのあまりその場に転倒した。被告人は、なおも本田千敏が被告人に殴りかかつてくるため、無我夢中で同人の足のあたりを引張り、同人を転倒させ逃げようとしたが、左足首の激痛のため思うようにならず、はつて逃げようとしたがすぐ起き上がつてきた同人に殴りかかられ、手、足、腰などを木刀で殴打された。被告人はこれ以上頭部などを殴打されたら殺されてしまうと考え、本田千敏の攻撃をひるませるため、ズボンの後左ポケツトに入れていた前記鋏を取り出し、右手で振り回し、同人の攻撃を避けようとしたが、同人はそれにひるむことなくなおも殴りかかつてきた。そして本田千敏が被告人に組みついてきて胸倉をつかまえ、首をしめ、木刀で殴打してきたため、被告人は、本田千敏の手を離そうとしたり、木刀で殴打してくるのを手で受け止めようとしたが意のままにならず、つかまえられているため逃げることもできず、このままでは同人に殴り殺されると考え、前記鋏を前方に突き出し、本田千敏の胸部付近を何回となく突き刺した。そのころ、本田千敏は突然殴打を止めて後退し、背中を丸めて座わり込み、後へ倒れた。被告人は、鋏に血が付いているのを見て、大変なことをした、と大いに驚き急いで警察と病院に連絡するため、鋏を持つたまま県道の方へ走つて喫茶店「ボヌール」へ行き、警察に電話をかけた。この間約五分という時間のうちに展開されたものである。

三、第一四回公判調書中の証人前岩道彦の供述部分、医師浦田絹栄作成の死亡診断書の謄本、司法警察員作成の捜査報告書二通、前岩道彦作成の鑑定書を総合すると、本田千敏は、前胸部を中心に十数か所の刺創乃至刺切創の傷害を負い、左前胸下部の二個の刺創(一つは大きさ一・四×〇・四センチメートル、深さ約九センチメートル、一つは大きさ一・二×〇・四センチメートル)に基づく心臓損傷による心臓タンポナーデにより、昭和五〇年五月二四日午後一〇時一五分ころ、前記寮前庭において死亡した事実が認められる。

第三、正当防衛についての判断

一、急迫不正の侵害について

前記第二で認定したとおり、被告人は、本田千敏の要請どおり木刀を下駄箱の裏側に投げ入れ、「話し合いをしようではないか。」と言つて階段を降りかけたところ、本田千敏が突然豹変し右下駄箱を倒して木刀を取り出し、「三井どないしたんや。この木刀でおれをどないにしようと思うとんや。三井やつてやろうか。」などと口走りながら、木刀を振り上げて被告人を追蹤しその背後から殴りかかつてきたのであるが、前記認定したように、その直前に大藤恒雄が仲裁に入つてくれたこともあつて、被告人は、本田千敏に話し合いで解決することの念を押し、本田千敏も一応は納得した様子を示していたので、所持していた木刀を下駄箱の裏側に投げ入れ本田千敏に先立つて階段を降りようとしたこと、前記仲裁に入つた大藤恒雄も話し合いで解決されもう喧嘩はおこらないと思つたこと、被告人が攻撃する気であつたのなら、素直に木刀を置くような行為には出ないで相手を威嚇する行動に出ていたと思う旨述べていること(第四回公判調書中の同人の供述部分、同人の司法警察員に対する供述調書)などを併せ考えると、被告人が木刀を下駄箱の裏側に投げ入れて階段を降りようとした時点では、穏やかに話し合いで解決できると考えていたと認めるのが相当であるから、本田千敏がこれに反して前記のとおり木刀で殴りかかつてくることは被告人にとつて予想し得ない出来事と言わざるを得ず、同人の右行為はまさに被告人の生命、身体に対する急迫不正の侵害と言わなければならない。このことは、被告人が鋏をズボンの後ポケツトに入れたままであつたとしても左右されるものではなく、また、これ以前、わずか二時間前に、池田酒店において本田千敏に殴打されたことやその後の寮内でのもめごと、木刀、鋏を持ち出した事情などがあるにしても、右の本田が木刀を振つて殴りかかつて来た時点においては別個に考えられるべき事柄であり、右判断に何等影響を及ぼさないものであるといわなければならない。けだし、被告人が木刀を捨て本田と話し合いによる解決をしようとした時点においては、被告人は、前記のような事情にもかかわらず本田に対する攻撃意思を全然有しておらず、従つて、前記の事情は、本田の攻撃の急迫性を否定する関係には立たないからである。そして、前記二の二において認定したとおり、本田千敏の被告人に対する攻撃はその後も継続していたのであり、右攻撃が中断したという事実は認められない。

二、防衛の意思について

次に、被告人は、公判廷(第八回公判調書中の供述部分)において、鋏を後ポケツトから取り出したときの気持について、「これはあかん。殺されると思つてわしは鋏を持つたんです。防ぐのと逃げるので精一杯で、もし本田さんがちよつとでも切つたり怪我でもしたら、本田さんもびつくりして痛うてやめるやろうと思つた。」旨供述し、本田千敏を鋏で突き刺したときの気持について、「これはやられてしまう。にげようもない。無我夢中で鋏を持つておるのをつきだして振り回した。」旨供述し、検察官(昭和五〇年六月一一日付分)に対しても「私はこのままでは殺されてしまうかもしれないと考え、とつさに鋏を取り出した。」旨供述していることを総合すれば、当時、少なくとも被告人においては、本田の攻撃に対し自己の生命を防衛する意思を持つて、前記行為に及んだことが認められ、このことは、前記認定事実の如く、本田千敏が被告人を攻撃するに至つた経緯、その態様、木刀の形状などに照しても十分首肯しうるところである。もつとも、被告人の心情中には、本田千敏に池田酒店で殴打され、傷の治療もしてくれず、さらに木刀で殴打されるに至つたことから、同人に対する憤激の情が入り混じつていたことは、被告人自身立腹した旨供述していることからも、否定し難いところである。しかし、相手の加害行為に対し、憤激の情に駆られて反撃を加えたからといつて直ちに防衛の意思を欠くものとは解すべきではないところ、前記の事情のもとにおいてこれを考察してみるに、被告人はたしかに本田に対する憤激の情を抱いて反撃を加えたものとはいえ、右事情下においては、その主たる意思は本田の突然の攻撃から自己の生命を防衛することにあつたと認めるのが相当であり、未だ防衛に名を藉りて本田に対する報復を加えるべく積極的な攻撃意思の下に加害行為に及んだという情況を認めることはできない。従つて、右憤激の情は、副次的且つ付随的であり、その主たる意思は防衛の意思であつたと認められる。このことは、前記第二の二で認定したとおり、被告人が本田に鋏で反撃を加えたのち、血が付いていることに驚き、直ちに警察に通報した反撃後の行動からも窺うことができる。従つて、自己の生命、身体に対する急迫不正の侵害に迫られた被告人に本田に対する憤激の情が併存したからといつて、防衛の意思の存在を否定することはできない。

三、必要性と相当性について

そこで、被告人の前記行為が已むことを得ざるに出た行為であるかどうかについて検討する。本田千敏は、当時相当飲酒酩酊していたことがうかがわれる(前記鑑定書によれば、解剖時心臓内血液中一ミリリツトルにつき一・六八ミリグラムのアルコールが検出されている)ものの、大藤恒雄は公判廷で本田千敏は多少飲酒していたと思うと供述(第四回公判調書中の供述部分)していること、証人前岩道彦はその程度について大体興奮期程度のアルコール量と思うと供述(第一四回公判調書中の供述部分)していること、被告人を追いかけた状況などを考えると、本田千敏が行動能力を著しく欠いていたとは認められず、本田千敏の身長は一五五センチメートルと被告人と比較して小柄ではあるが、空手やボデイービルをしていたということであり(第二回公判調書中の証人荒川満夫の供述部分)、被告人もそれを聞き知つていたのであつて、右本田千敏の被告人に対する攻撃は、その凶器の種類、形状(木刀、全長約一メートル)、執拗な攻撃態様、被告人の受傷状況(前記写真撮影報告書)からみて、被告人の生命に対する高度な侵害の危険性を有するものであつて、被告人が自己の生命を防衛するためにはそれ相当の反撃をなす必要性があつたことを十分うかがうことができる。ただ、前記鑑定書などによれば、本田千敏は胸部を中心に十数か所の刺創乃至刺切創の傷害を受けておりこれらはいずれも本田千敏の身体の正面前方から鋏が刺入されたことによつて生じたと認められるが、このことから被告人は本田千敏から身をひるがえす余裕もなく殆んど密着した状態でたてつづけに鋏で突き刺したことが推認され、かかる態勢で突き刺されたのにその刺された部位は前胸部全体左右両脇に及んでいるのであつて、右の事実と被告人の「無我夢中で突き出した。意識して鋏を握る余裕はなかつた。」(第八回公判調書中)「ほとんど手ごたえはなかつた」(検察官に対する昭和五〇年六月一一日付分)旨の供述を総合すれば、これは、被告人が絶対優位のもとに本田千敏の胸部を狙つて突き刺したものというよりも、むしろ、当時極度に興奮、狼狽していたため本田千敏の態勢などを確かめることなく、同人の身体に向けてやみくもに鋏を突き出したものが、たまたま同人の胸部付近に集中したものと考えるのが相当であり、また刺創の深さが右鋏の刃体の長さとほぼ同じ約九センチメートルに達するものがあり、相当の力で刺さつたと認められるが、前記情況から考えると、被告人の突き出した鋏に、酒に酔つて極度に興奮した本田千敏の攻撃力が加わつてできたと合理的に推認でき、短時間のうちになされた被告人の生命に対する急迫不正の侵害に対して、他になすすべもない被告人にとつて、右の如き行為に出ることは、已むを得ない相当な行為であつたと言わざるを得ない。

第四、理髪用鋏の携帯について

銃砲刀剣類所持等取締法二二条にいう「携帯」とは、人が日常生活を営む自宅乃至居室以外の場所において、相当の時間これを身辺に置くことをいうものと解すべきであるが、本件についてこれをみるに、被告人らが居住していた神例造船株式会社寮内には、一室に工員が複数で起居しており、便所、風呂、食堂などは夫々共用となつており、いわば寮内は、全体として相互に居住者の日常生活の場所と見られる点もないではないが、さりとて、各室毎に各人の起居の場所が定められ、独立した部屋の構造を保持しているものである。従つて、被告人が自室から刃体の長さ約九センチメートルの理髪用鋏を持ち出し、ズボンの後ポケツトに入れ、隣室の一三号室に行き、さらに寮前庭において、前記本田に対してこれを使用した行為は、一応、右「携帯」に該当するものといわざるをえない。

しかしながら、被告人が右鋏を自室の一六号室から持ち出すに至つたのは、前記のとおり、それ以前に山崎隼人と口論し、木下和司と喧嘩をし、東村盛によつて割れた一升びんで攻撃されようとした、という経緯があるのであり、しかも、右山崎隼人らは、一つの部屋に集まり、明らさまに被告人に対する敵意と攻撃の意図を示していたのであるから、被告人が、その時点において右山崎らの攻撃を予想したことは事柄の推移に照らして首肯することができ、被告人がこれに対する防備のため、右鋏を携帯したことも、その当時の状況の中では将来の侵害に対する防衛準備行為と認められる。

そして、その後被告人が二階ホール付近で本田と会い、その後前記のとおりの経緯で同人と格闘となり、同人を殺害するに至るまでの行為は、前記のとおり正当防衛にあたるものと解される以上、その時点で、被告人が鋏を携帯、使用した行為も当然違法性が阻却されるものと解される。

このように、被告人が専ら他人を攻撃する目的で鋏を携帯したものではなく、多数の同僚による当時予想しえた未来の侵害に対して自己の生命、身体を守るための防衛の目的でしたものであること、右携帯の時間も極めて短かく、その距離も一三号室から二階ホール、そして階段から寮前庭に至る約二〇乃至三〇メートルのものに過ぎないこと、しかも、右携帯は、前記のとおり共用部分の多い複数の工員が起居する同一寮内でのものに過ぎないこと、を考慮した上、法秩序全体の見地から本件鋏の携帯の違法性を検討するときは、被告人が本田と会つて以降の時点については勿論、それ以前の携帯についても全体として違法性が阻却されるというべきである。

第五、結論

従つて、被告人の公訴事実第一記載の所為は、本田千敏の被告人の生命、身体に対する急迫不正の侵害に対し、これを防衛するため已むを得ずなした相当の行為であつて、刑法三六条一項の正当防衛に該当し、同第二記載の所為も、前記の理由により、いずれも罪とならないのであるから、刑事訴訟法三三六条前段により、被告人に対し無罪の言渡をする。

よつて主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例